青春売買ホテル

茜の青春実況〜カコログ

 
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2006-01-23    「少女は死んだ」


「例えば、17になったとき、『(16だったときより)大人になって〜』って言われるでしょ、つまり、16の自分は死んでるんです」
テレビで心理学者がそう言うので、私は鉛筆を削っていたカッターを止めた。
私の場合、14のとき、カッターは自傷行為によって使われるものである。
今は、そのカッターで鉛筆を削っている。

それは、テレビでの「風と木の詩」という漫画の解説だった。

心理学者は、所謂、「少女にしか理解できない漫画」だそうで。
「風と木の詩」は、今で言う、「やおい系」の漫画の発端だとも言える。
けれども、それとは確実に違う、少年愛。

親切なテレビ局は、その漫画のストーリーのほとんどを私に教えてくれた。
私は読もう読もうとも思っても、なんというか、私には過激すぎて(恐縮ですけど、この私がですよ?)、 同系列と言われる「トーマの愛」という純愛、否、性的に深く関わらない愛なら全然大好物なのだが、 ここまでくると私もどうしようもない。
登場人物・ジルベールの過去の知った時点で眩暈がした。
少女漫画で「人を支配する」なんてこんなにリアルに書いたのは誰がいるだろう。 少なくとも、現代の漫画家で私は知らない。
その時点で、「やばい」と思い、「風と木の詩」は文庫版3巻で私の中で止まっている。
ついつい、そのストーリーの架橋に「あぁ、ジルベール…」と言ってしまう。
(分かる人だけ分かるのだが、「ベルサイユのばら」で「あぁ、アンドレ…オスカル!!」という感じ)
そして、ラストを知った私は、何故読まなかったのか!と後悔している。

著者・竹宮恵子は「言葉にはできないけど、何かを感じてほしかったんです。セルジュとジルベールの愛について、それ以外に」

心理学者は「容姿的な美、肉体美は、少女にとって、愛に通じるんです。これは男でも可能です。そこで、少年愛。この漫画は少女にしか理解できないかもしれない」

心理学者は、平和なお爺さんの顔をしていた。
その後に、彼が冒頭のようなことを述べると、何かの屈辱を得た感じがした。
呆然と見る彼の顔はいくつもの彼の死骸を見ることができるか。
皺だらけの顔。人の歴史。細胞の死。
 
2006-01-22    夢の中


センター前夜。

夢の中。
私は家の廊下を眠たそうに、また、気だるそうに歩いていた。
立ち止まり、自分の家の洗面所の鏡に指し当たる。
私は私の姿をみて、驚いた。
何故、驚くのか。
これが私だと確信したからだ。
そして驚いた。
あどけない私の顔。

そこで目が覚めた。
リピートを続けているしている、私のMDプレイヤー。
AM2:00
中途覚醒。
こんな時間に起きては困る。
早朝覚醒ならいいが、これは困る。
いくつかの睡眠薬を飲んだ後、私は目を瞑っていた。
AM4:00
暇つぶしオンラインゲーム。
そこにいる私は、ダンボールの装備を被っている。
彼と、ネット上の仲間と会話をした。
AM6:00
愛犬と散歩。
近所の神社へ合格祈願。

朝の冷たさ。薄暗さ。
その日、雪は降らなかった。
その訳をずっと考えている。

その後、
センター会場に思わず早くつき、喫茶店でコーヒーを頼む。
モーニングタイムのギリギリだったのでトーストとサラダがついてきた。

私は朔太郎を読む。
一種の現実逃避。
彼の世界。
「いと高き梢にありて、
ちひさなる卵ら光り、
あふげば子鳥の巣は光り、
いまはや罪びとの祈るときなる。」

その後の試験は、可もなく不可もなく。

帰りは恐ろしいほどの学生で、
こんなときのイライラはどうしよもない、特急券指定席を。

その日の夢で、
センターの最悪な配点をされてうなされた。
夢の中で、私の自分で作った陶器の灰皿が割れた。
何度も何度も泣いた。

 
2006-01-17    女は感と子宮で愛を考える


街から地元への帰りの間の考察。

「女は友情と愛情どっちかを選ぶとしたら、間違いなく愛情を選ぶ。
しかし、男はどっちの片方も選べない。そして、女の前、または世間の前では、愛情を選んでいる。
だが、男と男の友情の紐は決して切れない。
女と女の友情は切ることは、シャープペンシルの芯を折るくらい簡単だ」

これは、私の経験上最も身に沁みること。

では、女と女に愛が生まれれば? それはまた別の話。

それから、私が2ちゃんねるを利用して身に沁みること。

「文学とは俗物だ」

ひねくれものになってる、私でした。
ちなみに私は今日シャープペンシルの芯を文房具屋のおばちゃんに50円まけてもらった。0.3ミリ。
 
2006-01-15    嗚呼


こんな時期に、父と母の喧嘩。
いつものことだと、耐えながら、今は違う。

過呼吸
動機

 
2006-01-14    ふと思った


あの女。
私にとってなんだったのか。
彼女について考えると、私にはわからない。

連絡を絶って、それほど私は、ショックではなく。
至って普通。至って普通。

だから、私はそんなに執着心ないのよ、彼女に対して。

けれども、どうしても気になる。
心配? それであっていい。それであっていい。

「けれども、つなぎとめておけば?」
そうかしら?
「つなぎとめてなくてはならぬ。お前のために」
そんなことはない。

13歳からの私の闇を見た女。
「だから、つなぎとめておかねばならぬのだ」
いや、そんなめんどくさいことしたくない。

「愛してると言え」
そんなこと言えません。
あの子は、じゃじゃ馬だもの、気分屋だもの、ヒステリックだもの、嫌いなものは嫌いな子だもの。 泣き虫だもの。

あの子がいなくても生活できます。
生活できますよ。私は。
ただ大好きなだけです。大切なんです。けど、生活はできますよ。ちょっと寂しいけど生活できますよ。

あの子は、自分に従ってくれる人間しか好まないのです。



「愛していると言え」
いや、です。めんどくさい。
「つなぎとめるには、それしかないんじゃないか?」
そんなはずない。

でも、つなぎとめたい。私はあの子に好かれたい。
「愛しているんだろう?」
それは、わかりません。でも、言うのは、めんどくさい。違う。本気になりたくないだけ。

女なんか愛せないし。
向こうも女なんか嫌いだし。

妙な自問自答。
危なくなりそうなので、途中でやめた。
 
2006-01-13    冷静な作業


さあ、受験まで間もない。
狂ってはいけない。
ペースを乱してはいけない。
なるようになるのだ。

冷静な自分にならなくてはいけない。
もっとも苦手な作業。

中学の友人達4人とカフェで会話。
美しくなった、その少女は、
「ときめきのある恋がしたい」と言う。
その子は、ハワイに留学予定。
その前は、ハンガリーに留学。
恋を求めるその少女は、飛び交う会話の中で、恋について考えているのを私は見た。
その姿が、美しい。

「芸術とは、学問でもなく、活動でもなく、 人間がある作品を見て、『美しい』とか『刺激的だ』などと、 一種の人間として気持ちだと考えました。 それによって、芸術作品と呼ばれるものは、その作家の自己満足でしかならない。 しがしだが、それが、世間に認められることによって、その作家は他人との共有ができるものなんです。 だから、私にとっても書くことは自己満足です。 そして義務でもあります。 苦しかったり、楽しかったりします。 でも、私が見たもの、美しいと感じたもの、考え事、それを形にしたいのです。 そうしなきゃ、死にそうになってしまうのです。 その手段が、私にとって書くことなのです。 だからこれからの人生今の私にとって筆を折ることはありえない。」
そこまで主治医に言った。
「考えることはいいことです」彼は言う。
ただ、少し興奮気味だから、落ち着いてください。
そうゆうことはわかってるつもり。
受験だもの。それが終わるまで、冷静にならなければ。

受験後の私を、私は知らない。

「こうやって、押し付けがましく吐き出して喋らないと、いけないときがあります。
今の状態の私にはですけど。 波があって、だからこういったカウンセラーを一生うけていかないのかものかもしれません。 私はまだ病気なんですか?」
「まあ、しばらくは来てくださいね」
彼はそう言った。
 
2006-01-09    自負


「茜ちゃんって、負けず嫌いなんだね」
電話越しに、友人の声が聞こえた。
私がくだらない相談を持ちかけて、そんな回答。
「そ、そう?」臆病な声の私。

「ってーゆか、プライド高いかな?」

そう言われて、私は狂ったように笑った。
喜びと納得。
私ってそんな人間なのね。
痴人のように、笑い続けた。
 
2006-01-06    


いや、な、「悪夢」を自分で作り出していたようで、
しばらく書くことをやめ、怠慢に生きていた。

理想を追い求め、
もはや追い求めるということは、私自身にとって、それが「生き方」であり、
私の世界を生み出すということは、
もはやただ私の中に還るというだけかもしれない、ということ。

寝る前になると、
ただ昔のことでうなされ、
今の私は何をしているか? と問われる

妄想は留まることなく、なぜ、自分の妄想に苦しんだり、喜んだりする自分がわからない。

ある人が私が幸せである姿を見たら、どう思うか。
またある人がそんな私を見たら、どう思うか。

「苦しんだ人間のほうが、文学は勝ち」
そんなことを書いてあった文芸誌をみて、ぎょっとした。

書き物をやめてた間、けれども、本は読んでいた。
志賀、大江、三島、太宰…
私の青春の書が、またひとつ増えた。

わたしの人生の物語などというものは存在しない。(中略)
書くとは、といま改めて考えてみると、とてもしばしば、書くことはもはや何ものでもないという気もする。ときにはわたしは、こうだと思う。書くことということが、すべてを混ぜあわせ、区別することなどやめて空なるものへと向うことではなくなったら、そのときに書くとは何でもない、と。

これは、私の理想郷。
デュラスの「愛人」
この世界が私が夢にまでみた、理想郷。

まだ夢をみている。
どうしようもない夢。
人からみれば、くだらない夢を。
それを私は、書けない。

けれども、書かなければならない、どうしても。
私が私でいるために。
私にとっても書くことは、幸も不幸もないのです。
苦しみを書きます。また、幸せを書きます。泣きながら書きます。
私に好意をもち、去っていく人も書きます。
今、一番大切な人を書きます。
家族を書きます。

日常は流れる。
私が知らぬ間に、陽は落ちている。仕方がないから寝る。ファンタジックな夢を見て、私は目が覚める。

駅前で、可愛くお喋りをする若い女と、この私には、どうしても入れないラインがあるのを私は見る。

ええ、やはり、悲しくなります。書いてると。
けれども、私にはやっぱり、書かなければ生きた心地がしないのです。
しかしもう一度、そこには幸も不幸もありません。

さて、新年あけまして。
これから受験をして、うまい事いけば春から大学生です。
美大生になります。